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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第75回 菊名じんじん

2022.11.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和4年11月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 前回に続いて隈研吾氏の話から入りましょう。隈氏の本にも書かれていますが、大倉山に深堀医院を開業したのが隈氏の祖父、その娘が隈氏の母親宏子さん、宏子さんと結婚したのが父親の隈東馬さんでした。
 9月3日のイベントの様子をご覧になった方から、65年ほど前に隈氏のご両親を東横線などで見かけた時の印象を教えていただきました。東馬さんは、パリッとしたコートでダレスバッグのようなカバンを持つダンディーな方でした。宏子さんは、スタイルが良くて綺麗なお洋服を着た姿はファッション雑誌から抜け出たように素敵で、若い女性の注目の的だったそうです。
 なぜ目立っていたのでしょうか、その理由は大倉山の地域性に一因があるようです。その方によると、
 「綱島の人達には何となく粋な感じがあり、菊名の人達には横浜から流れてくるオシャレな雰囲気がありました。大倉山の人達には粋もシャレ気もありません。一口で言えば大倉山の人達は田舎ペーでした。しかし真面目で働き者が多かったです。右を向いても左を見ても良い人ばかりでした。お礼が言いたい位です。」
 綱島、大倉山、菊名は隣り合った狭い範囲ですが、各地区には昔から異なる地域性があったようです。
 2007年に菊名のSさんから聞いた言葉を思い出しました。
  大曽根おべっか  綱島だんな  太尾ばくちに  師岡やねや
  菊名じんじん  篠原おんな
 地域の特性を表現した言葉のようですが、かなり古い言葉らしく、Sさんも詳しい意味はご存じありませんでした。その後どなたに聞いても分からないままなのですが、ここで披露して記録しておきましょう。
 唯一想像が付くのは「綱島だんな」くらいでしょう。綱島温泉でお金持ちの旦那衆が多かったからと思われます。一番分からなかったのが「菊名じんじん」です。Sさんによると「じんじん」は「神々」と書くそうです。神社が多かったからでしょうか。
 いま七五三で賑わっている菊名神社は、かつて菊名駅周辺にあった5社(神明社、杉山神社、浅間神社、八幡神社、阿府神社)を1935年に合祀して菊名神社と改称したものです。
 地域を表す言葉としては、「太尾と新羽へは嫁にやるな、蛙の小便でも水が出る」とか、「米ぬか三合あったら嫁にやるな」などは有名ですし、「ハマ線や 生きた仏の 捨て所」などという戯れ句を聞いたこともあります。誰が言い始めたのでしょうね。
 篠原地区は明治の頃からダイコンが特産品となっていたそうですが、ある時寄生虫(ネコブセンチュウでしょうか)のせいで変形したために「篠原大根コブ大根」と言われて売れなくなってしまったそうです。
 どの言葉もヒドい言われ方で、今では信じられないような内容です。昔の方のご苦労が偲ばれます。(S.H)

75kikuna_shrine2006.jpg
2006年に撮影した菊名神社です。今とどこが違っているか分かりますか。本紙を手にして、見比べてみてください。

(2022年11月号)

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