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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第8回 大倉山の建築家たち

2016.11.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 大倉山は建築家と縁が深いようです。
 建築家長野宇平治は、古典主義の銀行建築で有名ですが、建築家人生の集大成として、プレ・ヘレニック様式の大倉山記念館を造りました。その建物を見て育ったのが、新国立競技場を設計した隈研吾(くまけんご)さんです。隈さんは、著書『僕の場所』の中で、大倉山で生まれ育ったことが、その後の建築家人生に大きな影響を与えたことを記しています。
 大倉山駅近くに建つ大倉山集合住宅は、建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞を受賞した妹島和世(せじまかずよ)さんたちの建築事務所SANAAによる設計で、異彩を放っています。
 建築に関連して、現代の名工、建具の田中利男さん(師岡町)と、ステンドグラス作家の平山健雄さん(菊名)がおられます。お二人とも横浜マイスターに認定されています。
 アンパンマンで有名な、やなせたかし氏の自伝『人生なんて夢だけど』を読むと、戦後の一時期、大倉山駅まで徒歩1分の建築屋さん宅に間借りしていたと書いています(『わがまち港北3』286頁参照)。(S.H)

(2016年11月号)

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