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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第84回 妙義神社と幻の西照寺

2023.09.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和5年9月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 「昔、綱島街道の整備をしたときに大量の人骨が出たと聞いたのですが、本当ですか?」と読者の方から、こんな問合せを受けました。場所を伺うと、「大倉山高校の校門の下、妙義神社の辺りらしい」とのことでした。

 東横学園大倉山高等学校は、1940年に高野平が開校した女学校でしたが、1955年に学校法人五島育英会に合併されました。その後、2008年に本校の東横学園に統合されて、跡地は現在マンションになっています。その手前、坂の下に妙義神社があります(写真参照)。ちょうど、新旧の綱島街道が交わるところです。

 まずは妙義神社から調べ始めました。現在の祠は、1976年に落慶したもので、大豆戸町の武田貞太郎棟梁が手掛けた仕事と聞いています。祠の横壁を見ると、1976年に掲げられたと思われる「妙義神社々誌」と題された説明板が貼り付けられていました。文責は「師岡熊野郷土博物館長」と記されていますので、1950年に博物館を開設した石川武靖氏(1977年没、師岡熊野神社先代宮司)でしょう。

 妙義神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代前期にはすでに祀られていたようです。祭神は倭建命(ヤマトタケル、『古事記』における表記)他3柱とあります。

 妙義神社は、群馬県の妙義山を信仰する神社です。江戸時代には、富士山信仰・大山信仰・三峯信仰など山岳信仰が各地で流行しましたが、妙義山もその1つで、修験道が盛んでした。妙義山まで行くのは遠いので、かつてはこの妙義神社に参詣する人で賑わったそうです。

 社誌によると、妙義神社の境内地はもと西照寺境内の一隅であったが、お寺が廃寺となったと書かれています。そこで、次に廃寺となった西照寺について調べました。この辺りは、かつて太尾村(現大倉山)、師岡村、大曽根村の村境でしたので、『新編武蔵風土記稿』で3村を調べてみると、太尾村の東端に西照寺がありました。西照寺は大曽根村大乗寺の末で、開山は大乗寺三世の生外意鐵、山号を無量山といいました。南東向きに建てられた本堂は約11m×6.4m程、本尊は地蔵菩薩でした。この西照寺の境内に祀られていたのが妙義神社で、市之坪地区の氏神様でした。

 『港北百話』には、港北区内にかつて存在していたが今では無くなってしまった寺院が10ヵ寺ほど紹介されています。そこにも西照寺が書かれていました。それによると、「太尾・漆原一族の寺として建てられたと言われ(中略)廃寺の時期については明確でないが古老の話を総合すると明治初期から中期頃であったようだ」と書かれていました。150年近くも昔のことです。

 なかなか人骨のナゾにたどり着けませんので、この調査は次回に続きます。(SH)

2007年10月1日撮影、妙義社.jpg
【写真】2007年10月1日撮影。左端が綱島街道、右上が東横学園の正門、右下へ綱島街道の旧道が通っています。

(2023年9月号)

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