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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第91回 港北を舞台にした小説―その2―

2024.05.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和6年5月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 前回の続きで、現代小説(作者の同時代小説) をご紹介しましょう。
 太宰治の弟子で無頼派として知られる田中英光の『暗黒天使と小悪魔』(文潮社、1948年)は、戦後再開したばかりの綱島の温泉旅館を描いていますが、 駅名が戦前の綱島温泉駅のままとなっています。鹿島孝二「菊名池」(『月刊よこはま1948年9月号』)は、菊名池が水道道で分断される前の、まだ貸しボート屋があった戦中戦後の様子を描いた短編小説です。

 芥川賞作家石原慎太郎のデビュー作『灰色の教室』(『太陽の季節』所収、新潮社、1956年)は、日吉の慶應義塾高校へ通う弟の石原裕次郎から聞いた話を元にした小説です。同じく芥川賞作家の遠野遥『破局』(河出書房新社、2020年)は、作者自身が慶應義塾大学の卒業生ですが、慶應の学生を主人公にしています。慶應出身の大先輩石坂洋次郎の『寒い朝』(講談社、1959年)は、主人公が日吉に住んでおり、後半では綱島の温泉旅館を舞台にしています。何度も映像化されていて、1962年に「赤い蕾と白い花」のタイトルで映画化された時、主演の吉永小百合が歌ったデビュー曲「寒い朝」が思い出されます。

 新横浜駅建設にまつわる疑惑を題材にした梶山俊之 『夢の超特急』は前回紹介しましたが、五木寛之『凍河』(文藝春秋、1976年)は新横浜の病院を舞台にして若い精神科医と薄幸の患者に芽生えた愛を描いた長編恋愛小説です。

 港北が舞台とは言いがたいのですが、百田建夫『ラーメンの街に日が暮れて』(みくに出版、1994 年)は、表紙に「新横浜ラーメン博物館推薦図書」のシールが貼られています。ラーメン博物館は、館内に昭和33年当時の街並みを再現していますが、本書はそのラーメンの街 (鶴亀町・鳴戸町・蓮華町)の出来事を記録したとする、細部まで凝りに凝った本です。電子書籍が流行する時代ですが、本書の魅力は紙の本でなければ伝わりきらないでしょう。

 宮本輝の新聞連載小説『ここに地終わり海始まる』(講談社、1991年)は、主人公天野志穂子の自宅が大倉山の坂の上にあります。 最近では、蜂須賀敬明『横浜大戦争』(文藝春秋、2017年)、横浜18区を擬人化した土地神様が戦うというストーリーで、明治編(2019年)、川崎・町田編(2022年) もあります。18区の土地柄の違いをよく調べてあり、思わず頬が緩みます、随所にある用語解説も楽しめます。

 典馬五郎『愛新覚羅家の遺産』(双葉社、1992年)は、1966年のビートルズ来日5日間に起きた、西太后の財宝を巡る殺人事件という設定の推理小説です。この中で、愛新覚羅溥傑・浩夫妻の長女慧生が死亡した天城山心中事件が出てきます。溥傑と結婚した浩は、嵯峨侯爵家の出身で東京生まれでしたが、嵯峨家は昭和になると日吉に転居していました。本文中に記述はありませんが、事件当時慧生は日吉にあった嵯峨家から学習院に通っていました。

 次々に小説を紹介してきましたが、ここで筆者が気になるのは「小説」の定義です。小説は作者のフィクションですが、ではノンフィクションやドキュメンタリー、ルポルタージュなどは小説に含まれないのでしょうか。溥傑も浩も自伝を残していますし、愛新覚羅家と激動の近代史について書いたノンフィクション作品も多数出版されています。数奇な運命を辿った愛新覚羅家の人々に関心がある方は、図書館で検索してみてください。

 新井恵美子『モンテンルパの夜明け』(潮出版社、1996年)はノンフィクションですが、「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌った歌手の渡辺はま子が、菊名に住んでいたことを紹介しています(『わがまち港北 3』参照)。 新井さんは一時港北区内に住んでいたことがあり、『古寺と伝説の旅 電車・バス・徒歩でたどる 東急沿線を中心に』 (田園都市出版、1992年)もあります。

 本稿の執筆に際しては、様々な方から情報を御提供いただきましたので、お礼申し上げます。港北を舞台とした小説はまだ沢山あると思います。ご存知の作品がありましたら、教えてください。続編を書きたいです。

 さて、ご質問は小説でしたが、ジャンルを絵本や童話、歌集・エッセイ・記念誌などに広げていくと港北区域のことを書いた作品は数多くあります。その大半は、地域出版や私家版です。こうした本の多くは関係者のみに配られて、図書館に収蔵されないことがあります。「自分の作品なんか図書館に入れる価値は無いよ」、そのような発言を聞くこともありますが、作品の価値を判断するのは未来の読者です。地域で出版した本は、何でも地域の図書館へ寄贈しましょう。地域資料の収集と公開は、地域図書館のとても大切な業務の1つですし、筆者が心がけている地域活動の1つでもあります。(SH)

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