閉じる

デジタルアーカイブ

処世信念 第4講「世間は道場也」

2024.04.24

処世信念 第4講「世間は道場也」

大倉邦彦は、NHK東京放送局JOAKで、昭和12年3月25日から30日までの6日間、朝の修養講座「処世金言」と題する講演を行いました。放送後から反響が大きく、是非出版するようにという熱心な希望があったため、放送原稿を『処世信念』というタイトルで、昭和12年4月に千倉書房から出版しています。

本音声は、その第4回目(昭和12年3月29日)のラジオ放送を録音したSP盤レコードをデジタル化したものです。

  • 現在では不適切と思われる語彙・表記がありますが、放送された時代背景、また、講演者が故人であることを考慮し、音源はそのまま公開しています。

MP3、96kbps、13.0MB、19分02秒

世間は道場也.mp3

以下は『処世信念』に掲載されている「梗概テキスト」です。(旧字体は常用漢字に、歴史的仮名遣は現代仮名遣いに変換し、また適宜、句読点・改行等の追加を施しています)

自分だけは真面目になって、日々の生活を意義深く力強く愉快に進もうとしても、世間という荊の中に居て、こちらが傷を負わないだけでも、大した苦労である。真面目なのは自分一人、世間は厄介な情実と妨害の林であるから如何ともなし難い、と言って居る人が多い。

然し、抑も世間を離れて自分があるべき筈のものではない。世間は皆悪い事ばかりで自分だけいいという理由は成立しない。自分も不完全、周囲も不完全であるところから、之をよりよくしようというのが、世間を道場と考えた訳である。

双方とも未熟であるから、鍛錬修行の必要がある。世間という道場で、打たれる、行動を妨げられる、ひどい目に会う、かかる場合にも、いい稽古臺として自分を錬るよすがとすべきである。その間に、同時に周囲を練って行く。練り練られるところに、世間道場の意味がある。山中や寺院に限らず、人間修練の場所は現実の世間である。

大倉邦彦の音声の記事一覧へ