大倉精神文化研究所の歴史~鎮礎式と留魂碑~
- 2025.05.09
【マンガ:30ページ】
横浜市大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館)1階の中央階段裏には、四角く囲われた場所があります。囲いには「留魂礎碑」と記されており、中には半球型の台座の上に方尖形の石造物が立てられています。傍らには「留魂碑」と書かれた木札も置かれています。
一見すると、このモニュメント自体が「留魂碑」のように見えます。しかし、これはレプリカで「留魂碑」そのものではありません。本物は高さ2.1メートルもある青銅製の柱で、この場所の地下約9メートルの位置に埋められています。また、四角い囲いは大倉山記念館として開館した後に新設されたもので、研究所の時代には存在しませんでした。
大倉精神文化研究所本館の建設工事は昭和4年(1929)10月から始まりました。その半年後の昭和5年(1930)4月9日、研究所創立者 大倉邦彦48歳の誕生日にあたるこの日、研究所本館の建設現場では「鎮礎式(ちんそしき)」と呼ばれる式典が執り行われます。
この式典では、大倉邦彦が研究所設立に込めた想いや願い、決意を刻んだ「留魂碑」が建物の中心となる地下深くに納められました。下の画像は「鎮礎式」当日、地中に納められる直前の「留魂碑」を撮影したものです。(研究所沿革史資料6936)
大倉はこの碑を地下に納めることで、自らの「魂」をこの地に「留」めるとともに、その想いが永遠に国土に刻まれ、忘れ去られることなく後世に受け継がれていくことを願ったのです。
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留魂碑に刻まれた大倉邦彦の想いは次の文章で、下の画像(研究所沿革史資料5935)は実際の礎碑面です。(旧字体は新字体に改めています)
人が人として宇宙人生の正法に安住せん事を念願す
人が国民として天孫中心の君国を永遠ならしめん事を念願す
人が業人として自他の存続発展を基調とせん事を念願す
一国思想の源泉は真の宗教と教育にありと信じ是を建立す
紀元弐千五百九十年 大倉邦彦