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催し物

第2回公開講演会(愛知大学共催) 「日中文化交流の使節 "中日大辞典"―東亜同文書院から愛知大学へ―」

2004.07.10
第2回公開講演会(愛知大学共催)

日中文化交流の使節 "中日大辞典"―東亜同文書院から愛知大学へ―

  • 講 師:今泉潤太郎(愛知大学名誉教授、前中日大辞典編纂所長)
  • 日 時:平成16年(2004)7月10日 (土)

「あの華日辞典のカードを返して欲しいと願い出てみよう。」と19536月、本間喜一愛知大学長は鈴木擇郎教授に熱意をこめて説いた。熾烈な国共内戦の末に大陸では中華民国が中華人民共和国にかわり4年を迎えようとしていた。

戦前、外地に在った日本の高等教育機関で最も長い歴史をもつ上海の東亜同文書院も敗戦により廃校となった。無一物で上海から引き揚げてきた同校の関係者が中心になり設立されたのが愛知大学(旧制)である。本間はその同文書院大学学長であった。

同文書院では、1933年頃から華日辞典の編集を始め、敗戦時には十数万枚の単語カードができていたが、廃校に際し中華民国政府にカードを含む全資産が接収された。

鈴木は接収に来た鄭振鐸委員(著名な文学者、のち中華人民共和国文化部副部長)に対し、将来もし事情が許せば我々の手で華日辞典を完成させたいと口頭で申し入れたことを思い出した。そのカードの返還を中華人民共和国政府に願い出ようというのである。1953年の夏、愛知大学は設立6年を経てなお創業の苦闘を余儀なくさせられていた。

大倉邦彦先生の学んだ東亜同文書院とは、戦後の混乱の中での愛知大学創立秘話、現在の愛知大学の中国研究・中国学をご案内しながら共に日中関係を考えます。

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