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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第95回 キツネに化かされたのは眉唾か

2006.11.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


「みなさんのおじいさんの、またそのおじいさんの頃、綱島の人々は仕事や用事で川崎の方へ出かけることが多かった。朝家を出て帰りは夜おそくなってしまう時などは、鷹野橋(たかのばし)のあたりまでくると、綱島までもうひと息ということでほっとしたそうだ。その頃の橋の近くには、身の丈(みのたけ)以上にもなるアシが一面に生えていて見晴らしが悪く、遠くのものは何も見えなかった。
そのアシの間にある細い道を、こどもたちの大好きなおまんじゅうや魚などを背おい、とぼとぼと家へ急ぐ頃には、もうあたりはまっ暗になってしまう。気ばかりあせるがいつになっても我が家につかない。いつの間にか東の空が白くなり、ハッと気がつくと、何と一晩中矢上川のくろ(川の渕)をぐるぐるとまわっていたではないか。」

(綱島東小学校の創立10周年記念誌『ひがし』より)


仕事帰りのお父さんがキツネに化(ば)かされた話です。戦前はこのようなことが多かったのだそうです。

『都筑の民俗(つづきのみんぞく)』には、キツネに関する話がなんと23話も採録されています。昔話の宝庫である『港北百話』を見ると、駒ヶ橋(こまがはし)の辺りでほろ酔い加減の男が化かされた話や、酒を飲んでよいきげんの男が保福禅寺(ほふくぜんじ、日吉5丁目)の辺りで化かされた話、善教寺坂(ぜんきょうじざか、新羽町)の近くの「かさ守り稲荷」に棲(す)みついたホーキ狐が仕事帰りの男を化かした話などが載せられています。篠原(しのはら)の押尾寅松(おしおとらまつ)さんからは、篠原八幡神社の辺りで人力車(じんりきしゃ)の車夫(しゃふ)が化かされた話を伺いました(研究所のホームページに「押尾寅松さんの昔話」として公開中)。

かつての区内には、鶴見川のアシ原や、あちこちの山の中にキツネが棲息(せいそく)していたようです。キツネは警戒心が非常に強く、都市化が進むと早くからいなくなりましたが、前回紹介したタヌキに比べると、キツネに化かされた話はこのように実にたくさん残っています。

直接化かされた話以外にも、「狐火(きつねび)」や「キツネの嫁入り」を見た話も、鶴見川沿いにたくさん残されています。狐火とは、夜中に山野に出現する妖(あや)しい光のことです。狐火がたくさん連なっていると、まるで嫁入りの提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)のようであることから、キツネの嫁入りといいます(晴天の時に降るお天気雨のことをいう場合もあります)。

狐火などは子供が見た話も多いのですが、直接化かされるのは成人男性が多いようです。中でも、「祭りやお祝いの帰りなどは、ごちそうをたくさん持っていたので、特にねらわれることが多くこわかった」(前掲『ひがし』)そうです。なぜ成人男性ばかりが化かされるのでしょうか。民俗学などでは、陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)などからキツネが陰気(いんき)の獣(けもの)とされたことから、後世になりキツネは女に化けて、陽(よう)の存在である男に近づくという認識が定着したと説明しています。なんとも味気ない説明ですね。押尾さんは、次のように話しておられました。

被害者が男性に限られているのもなにかおかしな話である。(中略)きっと夜遊びをしてお酒を飲みすぎて帰ることを忘れてしまったのを、ごまかすための手段として狐に化かされたことにしたのではないだろうか。

思わず頷(うなづ)いてしまいました。キツネは相手の眉毛(まゆげ)の数を読んで化かすといわれており、キツネに化かされないようにするには、眉に唾(つば)を付けるとよいのだそうです。どうやらキツネが男の人を化かすのは眉唾(まゆつば)のようです。一番可哀想なのはキツネでしょうか、奥さんでしょうか。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2006年11月号)

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