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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第72回 全国のもろおか、まめど、きくな―地名のナゾ、その8―

2022.08.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和4年8月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 前回の続きです。港北区の師岡、その語源については第22回で書きました。たくさんの岡が連なっている地形から、古くは「諸岡」と書きましたが(下の写真参照)、鎌倉殿と呼ばれた源頼朝の頃からは「師岡」と書くようになりました。「もろおか」地名は、多摩川沿いの東京都青梅市と稲城市、石川県輪島市(諸岳・諸嶽とも書く)、福岡県福岡市にもあります。静岡県には諸岡山という山がありますが、標高100mにも満たない細長い丘です。
 中世の紀行文『廻国雑記』では、村岡村(宮城県利府町)を仮名で「もろをか」と書いてあるのですが、小生は「もろ」は「むら」の誤記か誤写だろうと考えています。
 大豆戸の由来については、第18回20回で書きましたが、武蔵国比企郡大豆戸村(埼玉県鳩山町)に住んでいた金子一族が港北の地に移住してきて、元の地名を付けたという説があります。埼玉の大豆戸は、川が丘陵を浸食してつくった斜面に位置しているというので、港北と似た地形のようです。埼玉の地名は豆戸・馬見土とも書くのですが、「マメ」は崖地名の「マミ」が変化したとも言われるので「馬見土」が古い地名表記なのかもしれませんね。岐阜県の前渡(各務原市)は木曽川による洪水多発地帯ですが、大豆渡、豆戸、摩免戸とも表記するということで、やはり港北と似ています。
 最後は菊名です。「きくな」は珍しい地名で、全国に2ヶ所のみ、それも横浜と三浦にしかありません。三浦を本拠地としていた三浦一族の家臣に菊名左衛門重氏という人物がおり、その重氏が三浦の菊名を支配していたという話があります。港北区の菊名は、蓮勝寺の山号「菊名山」から取ったという説がありますが、三浦半島から移り住んだ菊名一族が開発したという説もありますので、菊名は三浦で生まれた地名かも知れませんね。
 港北の地には、今回紹介した金子一族や菊名一族の他にも、平家の落人とか、滅亡した武田の一族、島原の乱で改易された大名の旧家臣などが移り住んだといった話がたくさん残っています。
 さて、今回の連載は主に『角川 日本地名大辞典』と平凡社の『日本歴史地名大系』、東京堂出版の『地名用語語源辞典』等を駆使して調べました。皆さんも興味がある地名を調べてみると、きっと思いがけない発見があって楽しいですよ。コロナ禍が収束したら、現地を訪ねてみたいものですね。(S.H)

和名類聚抄巻第六(差替え用).jpg1000年以上も前に京都で作られた百科事典『和名類聚抄』に、「諸岡」の地名が書かれています。

(2022年8月号)

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